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結成式に参加した被爆者の声

金治貞男さん

広島で被爆。爆心地近くでした。僕は家にいて助かったが、母と兄は外だったので・・・・爆死でした。二度とあってはなりません。

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秋山勝彦さん

​広島で被爆。・・・・・・・・・

いま、現役退職後、語り部として各地の学校で平和の大切さを語っている。

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山崎 隆さん

広島で被爆。

沢山の人が「アット、いう間に亡くなってしまった」・・・・想像を絶する状況でした。

 核兵器を再び使うことを許してはならんとおもいます。私は、仕事をしながら楽器が好きで、大阪フィルでチェロを弾いていました。これは、スペイン出身のチェロ奏者のパブロ・カザルに思い寄せるところがありました。大和郡山など平和の集会に呼んでいただくことがありました。その時は必ずパブロが演奏する「鳥の歌」を演奏しました。パブロは国連本部で「故郷カターニャで鳴く鳥はピース、ピースと鳴く」といって演奏し、平和を訴えました。僕も、チェロで平和を訴え続けている自分があります。

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深町睦夫さん

広島で被爆。

僕は、親戚の家に疎開していたが、両親はそのまま広島にいた。そして原子爆弾の犠牲となりました。

 疎開先から爆心地の広島の町に入って残留放射能をあびてしまいましたが当時は何も知りません。

 ふたたび親戚の家に疎開しましたが、原爆後傷害で全身の倦怠感に見まわれ、中学時代は1年間床に伏しました。こんな病気に負けてはならないと、大阪に出て仕事をし、会社を立ち上げ、いまは後世に任せています。今88歳ですが、力の限り、原爆はダメ。戦争はやってはならん。これは伝えるのは私の使命です。

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●●●●さん

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